恐怖なくして、一流の道なし [決断]
恐怖なくして、一流の道なし(黒田博樹)
今回ご紹介させていただく言葉は、黒田投手の著書の帯に書かれている言葉です。
2014年12月、ニューヨークヤンキースで活躍していた現役メジャーリーガー黒田博樹投手は古巣の広島東洋カープに復帰するという大きな決断をしました。
カープが黒田投手に提示した年俸は4億円プラス出来高とされていますが、メジャーリーグの他球団からは日本円にして20億円を超えるオファーがある中でのカープ復帰です。
黒田投手は何故、カープへの復帰を決断できたのでしょうか。
黒田投手は高校時代、控えのピッチャーでした。
専修大学に進み頭角を現したものの、黒田投手が入部した当初、専修大学は東都大学リーグ2部であり、決して一流のチームではありませんでした。
カープスカウトの目に留まり広島東洋カープに入団する訳ですが、決して順風満帆であったとは言えません。
プロ1年目は6勝を挙げるも2年目のジンクスと言われる通り、2年目はわずか1勝でした。
プロ入り4年目の2000年に9勝を挙げ、5年目となる2001年には12勝を挙げチームの勝ち頭となりました。
2006年のオフにはFA権を取得し、FAによる他球団への移籍が取りざたされましたが、この時、広島市民球場のライトスタンドでカープの応援団が掲げた大きな横断幕には、
我々は共に闘ってきた
今までもこれからも・・・
未来へ輝くその日まで
君が涙を流すなら
君の涙になってやる
CARPのエース黒田博樹
という黒田投手へのメッセージがありました。
このメッセージが功を奏し、黒田投手はカープに1年間残留します。
また、カープを相手に投げる自分の姿が想像できないと公言し、日本国内の他球団に移籍することは無いと断言していました。
その後、2007年のオフにFA権を行使し、2008年からドジャースへ移籍、2012年から2014年までニューヨークヤンキースで活躍しました。
高額オファーを蹴っての、古巣への復帰。
黒田投手の生き様は、まさに漢の中の漢です。
恐怖なくして、一流の道なし(黒田博樹)
孤独、憂鬱、怒り、それを3つ足してもはるかに上回る希望 [起業]
孤独、憂鬱、怒り、それを3つ足してもはるかに上回る希望(藤田晋)
サイバーエージェントを創業した藤田晋氏が著書「起業家」の中で書いている言葉です。
ちなみに、サイバーエージェントは『アメーバブログ』の運営会社で、日本では利用者数第一位のブログです。
アメーバブログは日本で最も成功したブログサービスであることは間違いありませんが、書籍「起業家」の中では、アメーバブログの開始から事業拡大までの間の藤田晋氏の苦労と苦悩についても綴られており、決して順風満帆で推移した訳ではないことが良く分かります。
ところで、実は私自身、2014年3月に安定した生活を捨て、 2014年6月に起業しました。
2015年1月の時点でまだ1年も経過していませんが、私は今のところこの言葉ほど「起業」あるいは「経営者」を的確に表現している言葉を知りません。
もちろん、私も書籍を読み、先輩起業家の話を聞き、創業計画を立て、覚悟を決めて起業しました。
しかし、孤独や憂鬱は想像した以上のもので、今でも時々押しつぶされそうになります。
創業期の様々な苦難を乗り越え、事業が軌道に乗りかけたと思ったら、 さらに大きな問題が発生し、まさに苦難の連続です。
もし、私がサラリーマンの方から起業の相談を受けたとしたら、「安易な気持ちで起業することは絶対に辞めておいた方が良い」とアドバイスすると思います。
勿論、孤独でない時もありますし、憂鬱でない時もありますが・・・
「それを3つ足してもはるかに上回る希望」という文章の中には、そこに希望が転がっているという意味ではなく、「希望を持ちつつ精一杯努力する以外に道はない」という現実を表現している気がします。
孤独、憂鬱、怒り、それを3つ足してもはるかに上回る希望 (藤田晋)
今日という日は、残りの人生の最初の一日。 [今日]
今日という日は、残りの人生の最初の一日。 (チャールズ・ディードリッヒ)
Today is the first day of the rest of your life.
チャールズ・ディードリッヒ氏の名前は日本ではあまり知られていませんがアメリカの薬物中毒患者救済機関Synanonの創設者です。
映画アメリカン・ビューティーの中で使われましたが、何かを新しく始めたり、やり直そうとする時、この言葉を思い出します。
過ぎ去った日々や時間を取り戻すことはできませんが、その日1日を大切に生きることが大切だという意味であると捉えています。
チャールズ・ディードリッヒ氏が薬物依存から立ち直ろうとする人たちのための施設を運営していた事を考えると、より一層含蓄がある言葉に思えてきませんか?
今日という日は、残りの人生の最初の一日。 (チャールズ・ディードリッヒ)
Today is the first day of the rest of your life.
STAP細胞はあります。 [失敗]
STAP細胞はあります。(小保方晴子)
この言葉をビジネスに役立つ名言集に加えるかどうか迷いましたが、失敗した時の身の処し方、あるいは責任の取り方という意味で、ビジネスにも関連性があると考え、投稿させていただきます。
理化学研究所は2014年12月19日に会見を行い、STAP細胞の再現はできなかったことを発表すると同時に、小保方氏から退職願が提出されたことを発表しました。
以下、小保方さんのコメントを掲載させて頂きます。
「どのような状況下にあっても、必ず十分な結果をと思い、必死に過ごした3か月でした。予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細やかな条件を検討できなかったことなどが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取組み、今はただ疲れ切り、このような結果にとどまってしまったことに大変困惑しております。
私の未熟さゆえに論文発表、撤回に際し、理化学研究所を始め、多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまったことの責任を痛感しており、おわびの言葉もありません。検証終了をもって退職願を提出させていただきました。最後になりますが、本検証実験にあたり、検証チームの皆さまを始め、ご支援、応援してくださった方々に心より御礼申し上げます」
現時点で、STAP細胞は存在しないという事が確定した訳ですが、検証実験に参加することで最後まで責任を果たそうとした小保方さんの態度はなかなか真似できない事だと思います。
今回の一連の出来事は「失敗」と言えますが、これまで取り上げてきた起業家たちの言葉を借りれば、「失敗」ではなく「経験」と読み替えることができます。
小保方さんには、まずはゆっくりと心身を休めて頂き、科学者として再起を図るか、新しい道に進んで頂きたいと思います。
STAP細胞はあります。(小保方晴子)
われわれの最大の競争相手は同業他社ではなく、 めまぐるしく変わる顧客のニーズである。 [顧客]
われわれの最大の競争相手は同業他社ではなく、 めまぐるしく変わる顧客のニーズである。(鈴木敏文)
アメリカから日本にセブン・イレブンを持ち込み本家アメリカを凌ぐ大成功を収めた鈴木敏文氏の言葉です。
失敗しても後悔しないことはわかっていた。そして、後悔するだろうとわかっていたのは、自分のアイデアを試さないことだったんだ。 [後悔]
失敗しても後悔しないことはわかっていた。そして、後悔するだろうとわかっていたのは、自分のアイデアを試さないことだったんだ。(ジェフ・ベゾス)
Amazon.comの創業者ジェフ・ベゾスの言葉です。 なお、ジェブ・ベソスは現在ワシントンポスト紙のオーナーでもあります。
ジェフ・ベソスはプリンストン大学を卒業し、ニューヨークの金融機関で働いていました。
インターネットで本屋を始めるというアイデアを妻のマッケンジーに伝えたところ妻は賛成してくれましたが、上司に退職を申し出たところ、最後に48時間だけもう一度よく考えてみるようにアドバイスされました。
彼は上司のアドバイスに従い、48時間考えました。
そして、新規事業への挑戦は失敗する可能性が高い事を理解した上で、将来後悔しないであろう道を選択することを決断しました。
この時、ジェフ・ベソスが思いとどまっていたならば、この世界にAmazonは存在しなかったことでしょう。
私自信はジェブ・ベゾスの足元にも及ばない人間ですが、私も同じように金融機関の職員という地位を捨てて、起業の道を選びました。
だからこそ、この時のジェブ・ベゾスの気持ちがとても良く理解できます。
失敗しても後悔しないことはわかっていた。そして、後悔するだろうとわかっていたのは、自分のアイデアを試さないことだったんだ。(ジェフ・ベゾス)
現代社会において最大のリスクは、「人生を後悔すること」 [後悔]
現代社会において最大のリスクは、「人生を後悔すること」だと思うんです。(三木谷浩史)
インターネットショッピングモール楽天の創業者で東北楽天ゴールデンイーグルスのオーナーでもある三木谷氏。
三木谷氏は一ツ橋大学卒業後、日本興業銀行(現在のみずほ銀行の前身)に就職し、28歳の時にハーバード大学でMBA(経営学修士)を取得して帰国しています。
大手銀行の中でエリートコースを歩いていたことは間違いありませんが30歳の時に日本興業銀行を退職し、コンサルティング会社を設立しました。
創業時の従業員は大学院を卒業したばかりの社員と三木谷氏の2名のみだったそうです。
そして32歳となる1997年2月に楽天の前身となる株式会社エム・ディー・エムを設立し、その3か月後には楽天市場を開設しています。
楽天市場は今でこそ4万店を超える出店者数がありますが、創業当初は従業員6名、出店者はわずかに13店舗で創業後も出店料5万円の新規出店契約を取るために三木谷氏自ら飛び込み営業を行っていたそうです。
当然、断られる確率が高い訳ですが、三木谷氏は飛び込み営業を行う前に腕立て伏せをして、ワザと汗だくになってから相手先を訪問することで門前払いを減らすという裏ワザを編み出したそうです。
日本興業銀行に在籍していた頃は1件当たり数十億円という大きなビジネスを担当していた三木谷氏。
かつての同僚たちは三木谷氏を憐れんだそうですが、何故、三木谷氏は大きなリスクを負ってまで起業家への道を歩んだのでしょうか。
冒頭の言葉には次のような続きがあります。
金銭的なリスクなんて、ある意味、大したことはない。
チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。
目標を決めて、逆算して行動を起こせ。
三木谷氏は、目標を決めて、逆算して行動を起こしたからこそ、大きなリスクを取って起業し、そして大成功を収めることができたのだと思います。
現代社会において最大のリスクは、「人生を後悔すること」だと思うんです。(三木谷浩史)
365日24時間死ぬまで働け [精神]
365日24時間死ぬまで働け(渡邊美樹)
私は20年近く前に高杉良氏の小説を読んだことや、台湾の和民で飲食した際に感激した経験などから、個人的に渡邊美樹氏を応援していますので、この投稿を見て不愉快に思われる方はここから先を読まないでください。
冒頭の言葉は、正確には渡邊美樹氏の言葉ではなくワタミ理念集に記載されていた言葉です。
ワタミ株式会社の公式な説明によれば、この言葉は「上司が愛情を持って部下に接して欲しいというメッセージ」であり、本当に365日24時間働くことを従業員に求める内容では無いと説明されています。
ブラック企業の代表格のような扱いを受けているワタミですが、もし、組織ぐるみでこの理念を実践していた、もしくは実践を求めていたのであれば大いに問題があると思います。
しかし、起業家としての渡邊美樹氏個人に限定して考えてみると、それくらいの心構えで仕事をしなければ一代でワタミという巨大な外食チェーンを築き上げることはできなかったのではないか?という気もしています。
言い方は悪いかもしれませんが、居酒屋という業態の店舗が無数にある中で、ワタミが抜きんでた存在になるためには、実際に24時間365日働くことは無理としても、それくらいの心構えを持ち、限りなくそれに近い仕事をする必要があったのではないかと思います。
当然、企業として労働基準法をはじめとする法律を守ることは当然であり、従業員に24時間365日働くことを求める姿勢については大いに問題があります。
しかし、起業家がビジネスに取り組む上での精神論として考えるのであれば、365日24時間死ぬ気で働く心構えを持って仕事をするのはある意味、当然の事です。
私がサラリーマンを辞めて起業したからこそ、そのように思えるだけかも知れませんが。
そんな訳で、自戒を込めてこの言葉を名言として紹介させて頂きました。
365日24時間死ぬまで働け(渡邊美樹)
地球上で一番たくさんの「ありがとう」を集める経営 -なぜワタミは「存在」対「効果」を追求していくのか-
- 作者: 渡邉 美樹
- 出版社/メーカー: 起業家大学出版
- 発売日: 2011/04/01
- メディア: CD
失敗とは、再始動したり、新しいことを試したりするために与えられたチャンスだ。私はそう信じている。 [失敗]
失敗とは、再始動したり、新しいことを試したりするために与えられたチャンスだ。私はそう信じている。(カーネル・サンダース)
白いスーツ姿の人形で知られているケンタッキー・フライドチキンの創業者、カーネル・サンダース。
本名はハーランド・デービッド・サンダースといいます。
なお、カーネルは大佐という意味ですが、名前ではなくケンタッキー州がサンダースに与えた名誉大佐の称号です。
そのサンダースですが、若いころは転職を繰り返しており、決して成功者とは言えませんでしたが、40歳の時にケンタッキー州ノースコービンという場所で始めたガソリンスタンドの事業が大当たりしました。
そのうち、ガソリンスタンドに「サンダースカフェ」というレストランを併設するようになりましたが、そのカフェで提供されていたフライドチキンのレシピこそ、ケンタッキー・フライドチキンの秘伝のレシピなのです。
しかし、そのまま事業が順調に展開した訳ではありません。
サンダースが65歳の時にインターステイト・ハイウェイが新しく開通すると、車の流れが変わり、ガソリンスタンドは閉鎖に追い込まれてしまい、負債を整理すると彼の手元には
ガソリンスタンドを手放してからは、サンダースはワゴン車に寝泊まりしつつ、白いスーツを着て全米のレストランにフライドチキンのレシピを売り歩きました。
サンダースはレストランの厨房を借りては、実際にフライドチキンを作ってレストランのオーナーに提供しながらフランチャイズを増やして行き、70歳になる頃には全米とカナダに約400店舗のフランチャイズ店舗を増やしています。
その後、サンダースは74歳で経営の第一線から退きましたが、経営権を譲った後も味を確認するために世界中の店舗を回ったそうです。
現在、全世界に18,000店を超えるケンタッキー・フライドチキンの店舗がありますが、65歳となったカーネル・サンダースが失敗を乗り越えていなければ、このフランチャイズ網は存在しなかったことでしょう。
ちなみに、ケンタッキー・フライドチキンは世界で初めてフランチャイズビジネスを展開した企業です。
もし、カーネル・サンダースがいなければ、世の中にマクドナルドもセブンイレブンも存在していなかった可能性もゼロとは言い切れないと思います。
彼の人生を知ると、多少の失敗で挫けてしまうことが馬鹿らしく思えてきませんか?
失敗とは、再始動したり、新しいことを試したりするために与えられたチャンスだ。私はそう信じている。(カーネル・サンダース)
失敗したからって何なのだ? 失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか。 [失敗]
失敗したからって何なのだ? 失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか。(ウォルト・ディズニー)
ミッキーマウスの生みの親にして、ディズニーランドの創設者であるウォルト・ディズニー。
現在のディズニーはアナと雪の女王を例に出すまでもなく、世界的な成功企業の一つと考えられているかも知れませんが、 彼の人生を一言で表現するならば文字通り「失敗に次ぐ失敗の連続」であったと言えます。
自ら立ち上げた会社の倒産や同僚たちの裏切りも経験し、いつ諦めていてもおかしくない状況を経験しています。
しかし、言い方を変えれば、挑戦に次ぐ挑戦の人生でもあり、決して妥協することがない情熱を持っていました。
もし、ウォルト・ディズニーが諦めの良い人物であったならば、この世界にディズニーランドは存在しなかったことは間違いありません。
私も含めて、ディズニー映画のファンで、ディズニーランドが大好きな方は多いと思いますが、ウォルト・ディズニーの人生についてはそれほど馴染みがないように思えます。
是非、ウォルト・ディズニーの人生について知って頂きたいと思います。
失敗したからって何なのだ? 失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか。(ウォルト・ディズニー)